レキシジン 第1部「大東亜/太平洋戦争への流れ」 5章「日本はなぜ戦争をしたのか」 #100 戦争で日本が果たした役割とは?数百年続いた植民地支配をなぜ崩壊できたのか?

#100 戦争で日本が果たした役割とは?数百年続いた植民地支配をなぜ崩壊できたのか?

「大東亜/太平洋戦争の原因と真実」目次と序文はこちら

第1部 侵略か解放か?日本が追いかけた人種平等の夢

5.日本はなんのために戦ったのか

大東亜戦争において日本は、アジア解放の大義を掲げました。しかし、そこには少なからぬ矛盾をはらんでいたことについて前回は紹介しました。

今回はアジア解放に果たした日本の役割について、両極端の論を比較しながら、探っていきます。

5-4.大義が歴史を作る

その3.アジア解放に果たした日本の役割とは

- 歴史は結果によって紡がれる -

日本の追い求めたアジア解放の大義は、けして付け焼き刃ではないものの、国家の興亡をかけた緊急時においては、国益がなによりも優先されました。

日本が大東亜戦争へと突入していった最大の目的は、自存自衛のための資源獲得にありました。アジア解放の大義を掲げたものの、それが資源を獲得するための方便として利用された面があることも否定できません。

されども父祖たちが、そうした政治的な意図とは関係なく、純粋にアジア解放を願って戦いに殉じたことも、銃後を懸命に支えたことも、紛れもない事実です。

大切なのは動機ではなく、結果です。大東亜戦争の意義は、ひとえに結果にかかっています。

資源獲得の意図があったことはたしかですが、大東亜戦争は欧米諸国のアジア侵略に異を唱え、アジアから欧米の軍を取り除こうとする戦いでもありました。

客観的に歴史を見たとき、大東亜戦争の前と後とで、国家の数に大きな差があることがわかります。戦後、アジアとアフリカでは植民地からの独立が相次ぎ、1945年から1960年にかけて36もの新しい国家が誕生しています。

戦後の世界からは、植民地がほぼ一掃されました。その起点は、日本がアジアの植民地から力尽くで欧米諸国の軍を追い出したことに求められます。

植民地の数は大東亜戦争を境に明らかに減少
大東亜戦争の開戦目的は植民地解放だった―帝国政府声明の発掘』安濃豊著(展転社)より引用
植民地の数は大東亜戦争を境に明らかに減少の一途をたどった

序章でもふれましたが、ここで問題となるのは、大戦後の世界から植民地が消え、有色人種の国家が次々に独立を果たした事実に対し、「日本の行った大東亜戦争をどのように関連付けるのか?」、です。

【 大東亜戦争を境にアジアの地図は大きく塗り替えられた 】

大東亜戦争前

大東亜戦争後

世界が語る大東亜戦争と東京裁判―アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集」吉本貞昭著(ハート出版)より引用
大東亜戦争以前のアジアは、そのほとんどが欧米列強の植民地だった。大東亜戦争後にアジア諸国は次々と独立を遂げた。

日本がアジア解放の大義を掲げて大東亜戦争を戦ったこと、その結果敗れたはしたものの、戦後になってアジア解放が現実になったこと、それは紛れもない事実です。

では、大東亜戦争はアジア解放にいかなる影響を及ぼしたのでしょうか?

- なにがアジア解放をもたらしたのか -

歴史は常に勝者によって紡がれます。第二次世界大戦に勝利した連合国側を正義、敗れた枢軸国側を悪として戦後の世界秩序がつくられました。

ことにナチス・ドイツの為したユダヤ人に対するホロコーストは誰から見ても悪であるだけに、正邪の判定に迷うことはありません。

そのドイツの同盟国である日本も悪である、と一括りにされているのが今日の流れです。(実際には日本はユダヤ人の救出は行いましたが、ホロコーストには一切加担していません。)

日本を悪の帝国として位置づけるためには、日本の掲げたアジア解放の大義を否定する必要があります。そのために戦勝国側がこだわったのは、日本をアジア解放の殉教者としないことでした。

だからこそ戦後のGHQによる占領中に、アジア解放の大義を含んだ「大東亜戦争」という呼称の使用が禁じられ、「太平洋戦争」という言葉に置き換えられたのです。

「日本はアジアを侵略したのであって、解放したのではない」それが戦勝国によって確定された世界共通の歴史認識です。

日本の軍国主義という悪がアジア侵略を行い、周辺諸国に悲劇と災厄をもたらした、だから日本は反省し、謝罪しなければならない、それが今日の世界の常識になっています。

その上で、戦後まもなく植民地が次々と独立を遂げた理由について、教科書では次のように教えています。

「アジア・アフリカなどの枢軸国の占領地域で民族主義運動が高まった。この民族主義運動はファシズム諸国の過酷な支配に対する抵抗運動として始まったのであるが、戦後、欧米諸国に対する植民地の解放運動にかたちを変えた」

新・もういちど読む山川世界史』木谷勤著 (山川出版社)より引用

つまり、アジアから欧米諸国の軍を追い出した後に行われた日本軍による過酷な支配こそが、民族自決を求める運動の呼び水になったとの主張です。

アジア侵略という日本の悪に抗うために植民地解放を目指す運動が高まり、戦後に再び植民地支配を続けようと西欧諸国が舞い戻った際にも、その運動が引き継がれた、だからこそアジアは独立を果たした、このような物語が歴史の真相として語り継がれています。

もちろん、焦点の当て方によって、そのようなものの見方ができることも事実です。

- 「白人の優越性」を覆したとき、世界が変わった -

その一方で、次のような見解もあります。

「日本はほんのわずかな間、アジアを席巻した。その進出は軍事的要素より、政治・経済的要素が強かったのだが、日本人の侵略性なるものが強調され過ぎたために、この極めて重大な事実が覆い隠されてしまった。日本は、第一に、近代において大国として認められた最初のアジアの国であり、第二に、その存在は「白人のアジア支配」に対する挑戦であった。第二次世界大戦の最大の皮肉は、日本がアジア解放の旗手として登場したことである」

アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ著(角川書店)より引用

東洋学研究者で知られるヘレン・ミアーズ女史が指摘しているように、日本がアジアから一度は欧米諸国の軍を追い出し、植民地体制を破壊した影響については、欧米諸国の視点からすると案外見過ごされがちです。

ヘレン・ミアーズ
昔の女工さん より引用
【 人物紹介 – ヘレン・ミアーズ 】1900年 – 1989年
日米両国が開戦する直前まで東洋史・地政学を研究し、二度にわたって中国本土と日本を訪れ調査。戦時中はミシガン大学、ノースウェスタン大学などで日本社会について講義を行った。連合国軍占領下の日本ではGHQの諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして、戦後の労働基本法の策定に大きな役割を果たす。帰国後の1948(昭和23)年にアメリカ本国にて『アメリカの鏡・日本』を出版。日本擁護者として批判されたことで、学者としての生命を事実上絶たれ、学者として世に出ることはなかった。『アメリカの鏡・日本』の内容は次の通り。「日本軍による真珠湾攻撃以来、我々アメリカ人は、日本人は近代以前から好戦的民族なのだと信じこまされた。

しかし、前近代までの日本の歴史を振り返ると、同時代のどの欧米諸国と比較しても平和主義的な国家であったといえる。開国後、近代化を成し遂げる過程で日本は、国際社会において欧米先進国の行動に倣い、「西洋の原則」を忠実に守るよう「教育」されてきたのであり、その結果、帝国主義国家に変貌するのは当然の成り行きだった。以後の好戦的、侵略的とも見える日本の行動は、我々欧米諸国自身の行動、姿が映し出された鏡といえるものであり、東京裁判などで日本の軍事行動を裁けるほど、アメリカを始め連合国は潔白でも公正でもない。

さらに戦前・戦中においては、国際政治問題は「道義的」かどうかではなく「合法的」かどうかが問題とされていたのであり、戦後になって韓国併合や満州事変も含め、道義的責任を追及する事は偽善である。実際に戦前・戦中の段階で、日本の政策に対して人道的懸念を公式表明した国は皆無であり、自国の「合法性」を主張する言葉でのみ日本を非難し続けるのは不毛であるとする。」
wikipedia:アメリカの鏡・日本より一部引用。

解放後の日本の占領政策に対する評価はともかく、開戦後の圧勝によってアジアを支配していた欧米の軍を完膚なきまでに打ち破り、当時は常識とさえ考えられていた白人による有色人種支配の構造を崩壊させたことは、戦後のアジア解放に計り知れない影響を与えた、とする論もあります。

そもそも軍事力に優れていたとはいえ、少数に過ぎない白人による植民地支配が可能だったのは、その地に暮らすアジアの人々が従順だったからこそです。

白人には適わないというあきらめの境地こそが、植民地支配を支えていた原理でした。

ところが、あたかも半神の如く君臨していた白人をあっという間に追い出したのは、彼らと同じ黄色人種に過ぎない日本人でした。それを目にしたアジアの民衆は、黄色人種も白人も同じ人間に過ぎないことをはじめて知ります。黄色人種であっても白人を打破することができると知ったのです。

日本の圧倒的な勝利は、数百年間にわたって植民地を支配していた「被支配者としての従順さ」をものの見事に粉砕しました。

このことを歴史家として高名なア-ノルド・J・トインビ-は、次のように語っています。

第二次大戦において、日本人は日本のためと言うよりも、むしろ戦争によって利益を得た国のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想である大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。イギリス人もフランス人もアメリカ人も、ともかく我々はみな将棋倒しにパタパタやられてしまった。そして最後にアメリカ人だけが軍事上の栄誉を保ちえたのである。他の三国は不面目な敗北を記録したことは、疑うべくもない。

世界が語る大東亜戦争と東京裁判―アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭著(ハート出版)より引用

アーノルド・J・トインビー
wikipedia:アーノルド・J・トインビー より引用
【 人物紹介 – アーノルド・J・トインビー 】1889年 – 1975年
イギリスの歴史学者・文明批評家。ロンドン大学教授として王立国際問題研究所研究部部長とロンドン大学国際関係史教授を務める。外務省調査部部長も歴任。古代文明の研究を行い、全人類史を21の文明の興亡盛衰の過程として把握した主著「歴史の研究」全12巻は世界的に著名。西欧中心の歴史観でなく、イスラム・仏教、それに特殊な存在としての日本にも着目して、各文明国の発展を描いた。

緒戦の圧勝によって200年以上にわたる欧米諸国の植民地支配を日本が断ち切ったことが、アジア解放に決定的な影響を与えたとトインビーは主張しています。

日本の勝利は、アジアに暮らす人々の意識を根底から変えました。大航海時代から続く「白人の優越」が雪崩を打って崩壊し、あらゆる人種が平等であるとする新たな理念が、多くのアジア人の心に灯りました。

数百年に渡って維持されてきた「白人の優越」を完全に葬り去ったことの意味は、極めて大きかったのです。

- 日本統治下の現地軍の創設・育成が果たした役割 -

さらに日本統治下において、これまで独立運動を指導してきた人々を支援し、それぞれの地域において軍隊を創設したこと、そのための教育を行い、知識と訓練を授けたことは、日本軍が去ったあとの独立運動に決定的な影響を及ぼしました。

再び植民地支配をしようと舞い戻ってきた旧宗主国の軍と独立をかけて戦った主力は、日本統治下で育てられた国民軍でした。また、直接交戦には至らなかったまでも、やがて独立へと至る有利な条件を引き出せたのは、かつて欧米諸国が植民地支配をしていた頃とは異なり、まがりなりにも現地の軍隊が組織されていたからこそです。

旧宗主国にしても、相手に抗うだけの力があるとわかれば、かつてのように一方的に侮るわけにもいきません。

また、独立を果たした後の政府要人には、日本統治下で独立意識を高め、育てられた人物が多く含まれていたことも事実です。

もっとも、ここでも日本が国民軍を創設し、育てた動機を取り出したならば、純粋にアジア解放を目指しての布石だったとは言えません。

日本軍が現地の軍を組織した最大の目的は、近い将来に大東亜戦争への動員を計ったからこそでした。

しかし、ここでもやはり重要なのは、動機ではなく結果です。歴史の評価は結果から求めるより他にありません。

日本統治下において、白人による植民地支配のもとでは許されなかった軍隊を組織し、実際に戦えるまで訓練を施したことは、その後の独立運動における大きな土台になったのです。

独立や平和をいくら唱えていても、それだけでは力で押しつぶされてしまいます。抗うためには、対抗できるだけの力が必要でした。その力の源は、日本統制下において培われたといえます。

日本のアジア支配がもたらした影響については、まだ十分な研究が為されていません。先に紹介した教科書のように、日本統治下の悪影響こそがアジア解放を促したとする見解のほうが世界の主流です。

しかし、日本軍が欧米諸国の軍を追い出し、植民地体制を実際に崩壊させたことがアジアの人々の意識を根底から覆したこと、及び日本統治下で育てられた軍隊が独立に決定的な役割を果たしたことをもって、アジア解放に日本が貢献したとする論もあることを、知っておいてください。

次回はアジア各国や欧米諸国が、大東亜戦争を通して日本の果たした役割を評価する声があることを紹介します。

いよいよ第1部の最終回です。これまで見てきたことを踏まえ、日本はなんのために戦ったのかを総括します。

ドン山本
タウン誌の副編集長を経て独立。フリーライターとして別冊宝島などの編集に加わりながらIT関連の知識を吸収し、IT系ベンチャー企業を起業。 その後、持ち前の放浪癖を抑え難くアジアに移住。フィリピンとタイを中心に、フリージャーナリストとして現地からの情報を発信している。

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