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    レキシジン 第1部「大東亜/太平洋戦争への流れ」 5章「日本はなぜ戦争をしたのか」 第1部5章 日本が戦った理由(1/7)日本は一体なんのためにアメリカと戦争をしたのか?当時の価値観と...

    第1部5章 日本が戦った理由(1/7)日本は一体なんのためにアメリカと戦争をしたのか?当時の価値観と時代背景

    「大東亜/太平洋戦争の原因と真実」目次と序文はこちら

    第1部 侵略か解放か?日本が追いかけた人種平等の夢

    5.日本はなんのために戦ったのか

    5-1.序説

    前章まで、日米開戦に至る長い物語を綴ってきました。そのすべてを語るためには大航海時代までさかのぼり、筆を起こす必要がありました。15世紀半ば以降、ヨーロッパ諸国は彼らが勝手に定義した非文明国への侵略競争に乗り出し、殺戮と略奪を繰り返してきました。その結果、ペリー来航によって日本が開国を余儀なくされる際には、アジアやアフリカを中心に世界の大半はヨーロッパ諸国の植民地になり果てていたのです。

    そんななか、明治維新によって日本は世界へと漕ぎ出し、半文明国の烙印を押されながらも必死に抗うことで独立を守り通し、富国強兵を推し進めることで、ついに列強と肩を並べるに至ります。それは同時に、アジアの覇権をめぐる米英との深刻な対立をもたらしました。

    しかし、米英との相克は一朝一夕でもたらされたわけではありません。前章まで綴ってきた長い物語のなかに、日本と米英が衝突せざるをえない因子はいくつも散りばめられています。覇権争いだけが、対立を呼び込んだすべてではありません。

    歴史のなかに散りばめられた「悲劇的な対立を生んだ種子」をひとつひとつ拾い集め、日本があの頃、なぜ米英と戦争をしたのかを、私たちは知る必要があります。

    そのことが私たちの毎日を、変えてくれるわけではありません。

    ですが私たちが今、享受している豊かさは、日本が歩んできた歴史のなかで連綿と受け継がれてきた財産であることは間違いありません。素直に豊かさを受け継いでいる私たちには、父祖たちが紡(つむ)いできた思いを感じとる義務があります。

    もっとも「豊か」と言われても、今の自分と照らし合わせて見たとき、ピンと来ないかもしれません。

    しかし、世界に飛び出せば、日本人がどれだけ豊かで恵まれた毎日を送っているかがわかります。自分では豊かさなどこれっぽっちも感じていなかったとしても、世界の平均から見れば、すべての日本人が満ち足りた豊かな毎日を送っていることは間違いありません。

    統計から見ると世界のなかで「銀行に貯金があり財布にお金があり、家のどこかに小銭が転がっている人は一番豊かな8人のうちの1人」に過ぎないと言われています。私たち日本人はおそらく誰もが、世界で一番豊かな8人のうちの1人です。

    その豊かな暮らしぶりは、マナビジン|セブ島留学/オンライン留学完全ガイドで多くの関連記事があげられているフィリピンと比べてみれば明らかです。フィリピンでは国民の大半が貧困のなかで喘いでいます。ゴミ山などのスラムで寝起きする最貧困層の子供たちの暮らしぶりは、ときどき日本のテレビでも報道されていますから、目にした人も多いことでしょう。毎日、命を繋ぐための食べ物をいかにして得るかが、彼らにとっての切実な悩みです。

    一方、私たちの金銭的な悩みのほとんどは、贅沢な暮らしができないことに根差しています。
    でも贅沢な暮らしができないことに悩んでいること自体が、すでにとてつもなく贅沢なことと言えるでしょう。

    世界の人口比率は先進国が18%、開発途上国が82%を占めています。世界の大半は貧しさのなかで暮らしています。貧しさのために、5秒に1人の子供が命を落としています。

    では、私たちは、なぜ豊かなのでしょうか? 

    それは、私たちが日本に生まれたからに過ぎません。人は生まれる国を選べません。たまたま日本に生まれたという一事をもって、将来にわたって私たちの豊かさは約束されたも同然です。

    逆にフィリピンのスラムに生まれ落ちたならば、一生涯貧困から抜け出せないことが一般的です。どれだけあがいても、どれだけ努力しても、貧困から抜け出せない人々が無数にいます。フィリピンの貧しさはフィリピンという国の歴史のなかに根差しており、個人の力だけではどうにもならないのが現実です。

    才能や努力の量に関わらず、日本に生まれたと言うだけで世界でもトップクラスの豊かさを、私たちは手にしています。今日ある豊かな暮らしは、私たちの父祖が作り上げた日本という国の歴史のおかげであることは間違いありません。

    豊かさを受け継ぐからには、父祖たちがどんな思いで歴史を紡いできたのかを、私たちは知る必要があります。ことに現代と近い歴史ほど、私たちに直接関係しています。

    今日の日本の豊かさは、戦後になって父祖たちが懸命に努力した結果であることはもちろんですが、日本の歴史は先の大戦を境に分断されたわけではありません。戦前・戦中があるからこそ、現代へと歴史は紡がれています。

    だからこそ私たちは、近代史を語る上で大きな転換点となった先の大戦について、あの戦争はどういった状況で始まったのか、日本はなんのために戦ったのかを知る義務があるといえるでしょう。

    前章までの長い物語をもとに、父祖たちはなんのために戦ったのかを今回より追いかけます。

    5-2.日本は侵略したのか?

    先の大戦については日本の侵略の有無をめぐる論争が、今も続いています。この問題を突き詰めていくと膨大な分量を覚悟しなければならないため、ここでは考え方のガイドとなるような記述に留めます。

    日本が侵略を繰り返すことで戦争が起きたのか否かについての判断は、私たち一人ひとりが慎重に答えを出す必要があるでしょう。

    その1.現代とは異なる時代背景や価値観

    先の大戦のことを、今回のシリーズではあえて「大東亜戦争」と呼びます。その趣旨については既述の通りです。

    大東亜戦争をめぐっては、さまざまな解釈が可能です。その歴史認識は国家によっても異なり、中国や韓国はもちろん、欧米諸国や戦争の舞台となったアジア諸国など、歴史認識はそれぞれに異なります。日本の場合はさらに複雑な様相を呈しており、侵略であったことを認めて戦争責任を追及する声もあれば、侵略を否定し、むしろ聖戦であったと称える声もあります。

    歴史認識をめぐる問題は、いつの時代も難解です。そもそも連続して存在する歴史のどこからどこまでを切り取って判断するかによって、認識は大きく異なります。

    また、現代の価値観と当時の価値観をどう当てはめていくのかについても論争があります。

    現代の価値観や世界の在り方と、当時の価値観や世界情勢は大きく異なります。現代の価値観だけをもとに当時を判断したのでは、見えてこないものが多々あります。

    だからといって「現代の価値観をもって過去を見るな」と制約を設けたのでは、当時のすべてを闇雲に許すことに繋がってしまいます。当時は白人による人種差別が当たり前だったとはいえ、欧米列強によるアジアやアフリカの植民地化が正当化されるわけではありません。

    歴史認識の際に現代の価値観が入ってくることは、避けられそうにありません。

    それでも当時を生きた私たちの父祖がどのような思いで歴史を紡いだのかを知るためには、少なくとも当時の価値観や時代背景を知る必要があります。

    その詳細については前章までの記事を参照していただくとして、ここでは簡潔に当時の時代背景と価値観を振り返ってみます。

    - 帝国主義の時代 -

    19世紀から20世紀にかけては帝国主義の時代です。wikipediaによると「帝国主義」とは次のように定義されています。

    一つの国家・民族が自国の利益や領土や勢力の拡大を目指すため、政治的・経済的または軍事などの面で他国や他民族に対し侵略・支配・抑圧し強大な国家をつくろうとする運動・思想・政策である。

    帝国主義:wikipedia より引用

    15世紀から幕を開ける大航海時代以来、ヨーロッパ諸国による侵略によって世界の分割が進められました。それでもかろうじて独立を保っていた国も民族も、19世紀後半から始まる帝国主義の時代に、次々と植民地になり果てました。

    帝国主義の時代とは、大雑把に言ってしまえば戦国時代です。
    「力が正義」の時代にあって、軍事的に弱い国や民族は、強国の足下に跪(ひざまず)くよりなかったのです。

    軍事力に優れていたのは、ヨーロッパ諸国に偏っていました。ヨーロッパの白人たちはアジアやアフリカで平和的に暮らしていた民族を次々に征服していきました。侵略の正当化に使われたのはキリスト教の布教であり、殺戮や略奪を加速させたのは激しい人種差別があったからこそです。

    白人至上主義はヨーロッパ諸国における当時の基本的な価値観です。野蛮で低俗な有色人種を教え導くことこそが、白人の責務とされました。

    その結果、アジアで19世紀後半に完全な独立を保っていたのは、極東にある日本と緩衝(かんしょう)地帯として残されたタイのみという状況でした。

    - 明治以降の日本の歩み -

    日本は開国によって、帝国主義の吹き荒れるただなかに放り込まれました。当時の日本人が一丸となって真っ先に取り組んだのは、日本を植民地にされないことです。

    弱肉強食の世界で生き残るためには、自ら強くなるよりありません。経済力と軍事力をつけるために、日本は富国強兵に励みました。世界に例を見ない平和が続いた江戸時代に築かれた財産が、日本の急速な近代化を支えました。明治における日本の急成長は「奇跡」とよく称されますが、そこには必然性があったと言えるでしょう。

    江戸末期に結ばれた不平等条約を改正することが日本にとっての悲願でした。不平等条約は実質的に日本が半植民地状態におかれていることを意味しています。欧米諸国に文明国と認められない限り、条約の改正には応じてもらえない状況でした。

    文明国と認めてもらうために、日本は欧米諸国に倣って懸命に努力しました。気がつけば日本の立場は明治初期とは逆転し、自らが帝国主義を実践する側の強国になっていました。

    日本は自存自衛のために朝鮮に進出し、中国大陸に確とした足場を築きます。日清・日露の戦いを経て、ようやく文明国と認められるに至ったのです。

    ことに日露戦争での勝利は、有色人種が白人をはじめて打ち破った戦いとして、世界史に大きな足跡を刻みました。一方的に虐げられてきた有色人種にとって、日本の勝利はまさに希望の灯火でした。日本海の海戦でロシアのバルチック艦隊を撃破したのは、対米戦争が起きるわずか35年前のことです。

    - 欧米と日本で異なる植民地統治 -

    中国に租界をもつなど、日本が欧米諸国と同じ穴の狢(むじな)として領土を拡大する側に回ったことはたしかです。ただし、日本の領土拡大は列強の植民地支配とはまったく異なる様相を呈していたことも理解する必要があるでしょう。

    たとえばオランダのインドネシア支配と日本の台湾支配を比べてみれば、その他は明らかです。オランダがインドネシアを植民地支配したのは、純粋に搾取のためです。オランダは当時の蘭印から全生産量の65%を収奪しました。その額はオランダの国家予算の 30~40%を占めていたほどです。

    働いても働いてもオランダに収奪されるばかりのインドネシア人の暮らしぶりは悲惨を極めました。多くのインドネシア人は奴隷としての境遇に苦しむばかりです。インドネシア人が反抗しないように、オランダは徹底的な愚民化政策を推し進めました。就学率はわずか3%ほどに留まっています。

    オランダによるインドネシア支配は、あまりに過酷でした。

    対して台湾は日清戦争によって清朝から割譲されて以来、日本領でした。日本は台湾人の教育に力を注ぎ、その就学率は92%に達しています。日本の台湾統治は搾取を目的とはしていません。むしろ逆に国費を投じることで、台湾の産業を育てることに心血を注ぎました。教育と産業の隆盛のために莫大な資金が費やされましたが、そのほとんどは日本本土からの補助によってまかなわれたのです。

    台湾経済の成長に伴い補助金を徐々に減らすことで、台湾経済の自立に日本は成功を収めます。台湾人の暮らしぶりが日本統治下で向上したことは間違いありません。

    台湾の人々が今でも日本統治時代を懐かしみ、親しく接してくれるのは、こうした過去があるからこそです。東日本大震災の際、世界各国のなかでもっとも多くの寄付金を寄せてくれたのは台湾でした。(その台湾を日本が現在、国として認めていないのは残念なことです。)

    同じ帝国主義と言ってもヨーロッパ諸国と日本の領土拡大の在り方は、根本から異なっていたのです。

    韓国併合後も日本は台湾と同様に多額の国費を投入することで、韓国経済の自立を図りました。ただし、現在の日韓関係を見れば明らかなように、韓国を日本領に組み入れたことで両国間にさまざまな誤解が生じていることも事実です。

    韓国併合の経緯については「日韓併合への道 欧米列強に並ぶ一等国へ」を参照してください。

    満州についても日本から多額の資金が投入されました。日本統治下において、満州は欧米の使節団が腰を抜かすほどの近代都市へと短期間で様変わりしています。満州には光も陰もありました。詳細は 4.満州事変はなぜ起きたのか – 4-9. 満州の見果てぬ夢を参照してください。

    他国を統治するからには現地の人々とさまざまな摩擦が生じたことも事実であり、数々の悲劇が横たわっています。その意味では、日本の領土拡大を手放しで正当化することはできません。

    しかし、欧米が搾取を目的に植民地支配をしたことに対して、日本の統治は現地の経済的自立を目的に、産業の隆盛と教育に力を注ぐものでした。欧米と日本では植民地の在り方がまったく異なっていたのです。

    - 自由に貿易できなかった時代 -

    満州事変前の時代背景を今一度確認しておきます。列強による世界分割が行き着くところまで行き着き、もはや植民地にできそうな国は地上から姿を消していました。当時の日本もまた、列強の一カ国です。

    ただし、日本が列強の仲間入りを果たしたのは遅かったため、世界のおよそ四分の一を支配する大英帝国や広大な国土と資源を抱えるアメリカと比べれば、日本の領土はごくわずかに留まっています。

    その頃、世界各国に深刻なダメージを与えたのが、世界大恐慌です。自国の経済を守るために列強は一斉に保護主義に走り、自国の抱える植民地を中心に経済ブロックを築きました。

    「保護主義」とは自由な貿易の対極にある考え方です。具体的には自国の産業を守るために貿易について高い関税を設けたり、輸出入の制限をかけることなどを意味します。

    当時は今日のような自由貿易は成立していません。自国に足りない重要物資があるなら、他国から貿易によって入手すればよいと考えるのは現代の価値観です。

    資源に恵まれていない日本では、貿易に頼らなければ国民が生きていけません。ところが経済ブロックによって貿易を阻まれ、日本人の多くは深刻な飢えに苦しめられました。

    さらに日本にとって不幸だったことは、当時は経済的には後進国が日本ただ一カ国だけだったことです。日本よりも一足早く近代化を終えた欧米諸国は、みな先進国です。植民地になることなく独立を守り、遅れながらも近代化に成功した後進国は日本だけでした。

    成長著しい後進国と先進国との貿易摩擦は、構造的に致し方ない面があります。当時の日本は欧米諸国との貿易摩擦によって高額な関税を課され、輪をかけて不当に苦しめられていたのです。

    距離的に近くて資源が豊富な南方の地域はすべて欧米諸国の植民地とされ、宗主国のブロック経済圏に取り込まれていたため、日本は通常の貿易によって物資を得たくても、貿易する相手国が見当たりませんでした。

    東北などでは餓死する農民も多く、身売りが相次ぎ、日本はどうしようもない閉塞感にとらわれていたのです。

    大不況に喘ぐなかで叫ばれたのが「満蒙は日本の生命線」という言葉です。貧困のなかで大半の国民は、満蒙に希望をつなぎました。

    国民の声に押されるように関東軍の青年将校によって引き起こされたのが満州事変です。満州事変によって日本は、米英との対立を深めていくことになります。

    今回は大東亜戦争前夜の価値観や時代背景を中心に紹介しました。

    次回は日本がなぜ侵略国と言われるのか、その理由について追いかけてみます。

    ドン山本
    タウン誌の副編集長を経て独立。フリーライターとして別冊宝島などの編集に加わりながらIT関連の知識を吸収し、IT系ベンチャー企業を起業。 その後、持ち前の放浪癖を抑え難くアジアに移住。フィリピンとタイを中心に、フリージャーナリストとして現地からの情報を発信している。

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